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<<   作成日時 : 2010/09/01 02:37   >>

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もう半年以上も前のこと。まだ寒い季節だったと思う。
バイト先の図書館で、返却本を棚に戻すべく、本の束を抱えて書架の間を歩いていたとき。
別に、何か引鉄になる事があったわけでもないのに、天啓のようにはたと思った。

「そうだ。あの作品って、こういう風に演じてもありだったんだ」

5年前、ヒロインを演じさせていただいた作品…『ポプコーンの降る街』
詩劇のような、ちょっと見メルヘンチックな、それでいて深い哲学を含んだ戯曲。
私の最初の登場は生活に疲れたおばさんぽく、次の登場は色っぽいいい女。そして会話の中で少女に戻っていく。
とても振り幅の大きい、女優としてしどころのある役柄だった。
今回、二人芝居をやるまで、私のエポックといってくださるファンが一番多かった舞台だ。

相手役と会話していく中で、思い出がよみがえり、二人の距離が縮まっていく。
それに連れて、35歳の女は、彼との思い出の中の17歳に戻っていく…そんな解釈で演じていた。
別に少女ぶる、とか可愛い声や仕種をするわけではなく、自分の心の置き所の問題なのだが、
私の感覚としては「17歳への退行」を楽しんでいた感じだった。
二人で、青年と少女として、会話ができていた、と思う。

だが、ふと思ったのだ。
男はある事情で、現実の時間を生きていない。
中年にも、20代にも見ようによっては見える、というようなト書きもあったと思う。
私の演った女は、その間、現実の時間を過ごしてきた人間だ。
もしかしたら…

男が自在に時間を遡って青年になったとしても、
女は共に遡ったつもりで遡れなかった、というのもありではないか、
観客には、無残に20歳の青年と35歳の女の不釣合いなカップルに見えても、
それはそれで、もしかしたら、より残酷な現実のメルヘンとして成立するのではないか。
待ち続けた末の残酷な結果…

戯曲の読みに、正解は一つとは限らない。
(もちろん、明らかな誤読というものはあるのだが、答えはいくつもある可能性があると思う)
役者の仕事は、いくつもの可能性を探して、それを成立する形で提示することだと私は思っている。
最終的にその中から今回その作品が行く方向を決めるのは、演出家の仕事だ。

5年前の相手役と私にとって、あの演技は正解だったと思うし、演出もその方向を指し示していた。
だが、たぶん、あの戯曲にとって、この方向も、ありだ。
今の私なら、気づけるし、可能性の一つとして提示もできる。
それは、この5年間の私の蓄積であり、
良くも悪くもいろんな経験(どちらかというと不幸な…待ち続けた…)をしてきてしまったためであり、
女優としては手が増えたことはある種成長でもあるのだろう。

…などという考えが、一生懸命バイトで働いているさなかの私に降ってきたのだった。

不思議だ。
なぜ今頃、こんなことを思いついたのだろう。そう思っていた。
もう二度と、この作品を演じることはないだろうに。と。
なぜなら、年の変わる頃にいろいろと起きた「大人の事情」で、
もうあの座組をそのまま組むことはできないだろうと漏れ聞いて思っていたので。
それでも、私にとって宝物であるこの作品は、私の中で熟して、
植えることのかなわない種であっても、私に落としてくれたんだなあ、といとおしかった。
そのまま蒔くことができなくても、女優として生きていく以上、この種を大事に持っていよう、そう思っていた。

ところが…

もっと不思議なことが起きたのだ。5月の末のこと。
「11月に『ポプコーン…』をリーディングのオマージュという形で上演したい。あの役で出てくれませんか」

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