凛の、ちょっとした思いつ記

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zoom RSS 演じることと自分でいること

<<   作成日時 : 2009/10/11 00:23   >>

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最近、料理ブログやブックレビューブログになっちゃってるので、
たまには本業がらみで思うことを。今急ぎの書き物もあるので、手短に。

あるところで、役になりきる、とか、その役の人物になる、的な文章を読んだ。
この夏のワークショップで、「見たいのは役の人物じゃない、あなた自身だ、
あなた自身でアクティングプレイスにいる姿だ」というのを繰り返し要求された。
この間手伝っていた芝居の稽古を見ていて、「今あそこでしゃべっているのは誰なんだろう。
役の○○か、役者の××くんか」と、ふと感じた。

最近思う。演じているときには、隠しようもなく自分が出てくる。
しゃべっている言葉は台本に書かれた役の人物のものだけれど、
そこには間違いなく「桜澤凛」がいる。桜澤凛の心が、身体が、脳みそが、感じている。
事実じゃないけど、真実。
いつも思うこと。舞台上の相手役は事実としての恋人じゃないけれど、
相手との間には真実の気持ちの流れがないと、
芝居は嘘になる。ふり、になる。

逆に、日常の中で、どれほど私たちは演技をしているだろう。
元気なふり。平気なふり。何も感じていないふり。
あるいは、周りの役割期待に応えて、望まれているような人であるふりをする。
本当の気持ち、額面どおりの気持ちを口にできることなんか、あまりない。
私だって、芝居場の自分、図書館バイトの自分、家での自分、好きな人の前での自分、
一人の人間として統一性がないんじゃない?多重人格じゃない?って思うくらい違う。
それは、われわれ俳優を職業とする人でなくても、きっと同じ。
皆さん、いろんな自分、演じてるでしょう?

綺麗は汚い。汚いは綺麗。
シェイクスピアじゃないけれど。
演じれば演じるほど自分になる。自分でいるほど演じている。
すごく不思議。そして、すごく当たり前なこと。

こんな風に感じられる自分を、ちゃんと試してやれるにふさわしい場が
今欲しいなあ、と思う。なんかもったいないなあ。

走り書きですみません。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
凛さん、役者として何かをつかんだんじゃないですか。
演じてる自分なんて事、私は考えたことないです。
対人恐怖症になった時は電車に乗るのが怖かったです。
でも、怖くない自分を演じたのではなくて、怖い事を必死に隠してたんです。
思えば私の人生、健康が芳しくなかったせいか、そういう事を隠し続ける毎日だったように思えます。
演じる自分を直視して意識できる凛さんはスゴイと思いますヨ。
きまぐれ
2009/10/23 00:26
>きまぐれさま

これは、とても難しい問題で、何度も打っては消しています。
失礼な、あるいは的外れなレスになっていたらごめんなさい。

現実の生活の中で、自分のままで対峙するというのはさらに大変なことだし、
隠したり平気なふりをしたりというのが、自分のためでなく、
相手への気遣いであることもありますよね。
それもやっぱり人として大切なことで、すごいことだと思いますよ。
うまく言えませんが。

演技者としての意識については、本当に、何がつかめたのか
ちゃんと試せる、それに見合う場に自分をおきたい、と願っているのですが、
なかなか……これが自分では手がなくて。

2009/10/24 21:03

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