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久しぶりに石田衣良の長編を読んだ。 いや、久しぶりに長編を読んだ、といったほうがよいか。 何かいつも「語りたいもの」を探していて、一つでも多くの作品、一人でも多くの作家に触れたくて、 いきおい短編アンソロジーを読むことが多かった。 その中で、たくさんの「面白いイマドキの書き手」に出会うことも多かったし、 そこから掘り下げて何冊も読んでしまう、角田光代のようなお気に入り作家もできたのだが。 石田衣良作品は、角田光代の前の私のお気に入りだった。 最初に読んだのが『娼年』という作品で、新聞評で見て面白そうだと手に取り、一気にはまってしまった。 (今思うと、その書評を書いていたのは角田光代だった気がする。確証はないが) この『逝年』はその続編だ。 さえない(と本人が言う)大学生リョウが、娼夫(コールボーイ)にスカウトされ、自分でも知らなかった才能を開花させていく『娼年』 自分をスカウトしてくれた母のような人の死を看取り、彼女の大事なものを支えていく『逝年』 こう書くとどこがいいのか、どんな話なのか全く伝わらないが。 少年、青年という言葉との語呂合わせも、「逝く」という漢字を使ったダブルミーニングも心憎い。 それに、とにかく描写がステキだ。 リョウや、彼を取り巻く人物、彼の客になる女性、死んで行く心の母のようなひと…そして性描写。 すごくエッチで、胸がドキドキして、いやらしいけれど下品でなく…正直私は何度となく泣いた。 「奥深くでつながっている感覚」 「これが真実でそれ以外は全て幻」 「生きているって、自分の身体をとおして誰かを感じてなにかを分け合うこと」 「魂と魂をこすり合わせる行為」 本好きの知人と石田作品について話したとき、その彼女は「いつも発情してる感じで苦手」と言っていた。 私も、最近ちょっと文章の気取りが引っかかる感じがして、あまり読んでいなかった。 でも、私にとってのセックスはまさにこれ、魂に触れることで、彼我の区別がわからなくなるようなことだ。 だから…私は…涙が出て仕方がなかった。 本当に魂がつながってしまえば、セックスでなくても、キスするだけ、握手するだけでも、いや、目を見て話すだけでも… いや、逆に身体がつながるからこそ、魂の奥深くに触れられる、 それとも、魂の奥深くがつながってしまうから、身体もどんどん近づいていってしまうのかもしれない。 正反対のことはいつも、同じ一つの真実だ。 リョウと死んでゆく女性との交わり…私はふっと、光源氏と藤壺にオーバーラップした。 読んでみてください。『逝年』だけでもいいけれど、『娼年』からならまた違う読みができると思います。 私は、ボロ泣きでした。 (さすがに今回は朗読しません。ちょっと私の声では生々しすぎると思うんで) 逝年―call boy2
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