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zoom RSS 創造(純粋)芸術と再現芸術

<<   作成日時 : 2007/12/21 01:59   >>

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最近書きたいことがたまっているのに、なかなかゆっくりPCの前にいる時間がない。
短いもの、日常的なことは携帯から更新してもいいけど、
ちょっとまとまったものを書きたいときはやっぱりキーボードでないとまどろっこしい。
今日もとても書きたいことが起きたのだけれど、今日はキーボードが使えるので、
まずは何日か前から抱えているひとりごとをひとまず先に。

ずっと考えていたこと。
芸術っていろんなジャンルがあるけれど、
ある視点から考えると、大きく二つに分かれるのではないか。
創造芸術と再現芸術。
自分の中で二つの括りそれぞれに仮にこんな名前をつけてみたのだけれど、
バイト先で一緒に仕事をしている若い美術系のアーティストとお昼ご飯を食べながら話をしていて、すごく盛り上がり、
これがなかなか悪くない視点ではないかと思えた。
異ジャンルのアーティストと話していると話が広く深くなってとても勉強になる。インスパイアされる。

創造芸術家は何もないところからアートを生み出す。
空気中からつかみ出して、人に認識できる形で定着させる。
作家が小説や戯曲を、詩人が韻文を、作曲家が楽譜や即興演奏を、美術家が彫刻や絵画を…
普通の人には何もない空間に見えるのに、どこからその種を見つけ出すのだろう。
神だよなあ、と思う。

再現芸術はその種をまいて、育てる。
我々役者そして演出家も、戯曲がないと何もできない(インプロなどのちょっと特殊なものは除いて)
しかもあるだけではなくて、そのクオリティが…だと、我々にはいかんともしがたい。
昔、「作家は神様で、演出家は王様で、俳優は恋人」と書いたことがあるが、
神様がちゃんとした世界観を書いてくれないと、王様は統治できないし、我々は生きられない。

だからといって、創造芸術が上で再現芸術が下、というのでもない。
「別れの曲」が印刷してある楽譜が落ちていても普通あまり芸術的ではないが、
しかるべきピアニストが演奏することによって、それはアートになる。
再現芸術家の力を借りなければ、芸術として成立しない。
誰が弾いても「ラ・カンパネラ」は「ラ・カンパネラ」だが、
フジコ・ヘミングが弾くのとアシュケナージが弾くのとでは、それぞれ別の芸術だ。
仲間由紀恵さんのジュリエットも、温水さんのジュリエットも、私のジュリエットも、
みんな違って、みんないい…はずである。
演じ手の数だけふくらみがある。
自分の肉体と精神と技術とをつかって、どの方向にどのくらい膨らませるか、
それが我々の腕の見せ所、我々の存在意義だ。

作曲家が創造した楽譜を元にした再現芸術である音楽に乗せて、
コレオグラファーが空気中から振り付けをつかみ出しダンスを作る、なんてこともある。
創造→再現→創造…何層にも重なっていく。面白い。

再現芸術家を必要としないものもある。純粋にひとり立ちしてるように見える、芸術。
たとえば小説は、直接読み手の心と頭の中に世界を作り出す。
いや、でももしかしたら、人は全て、受け手としての再現芸術家、なのかもしれない。
それってなんだかとても素敵だ。

ええと、何が言いたいか、というと…
こんなことグチャグチャと哲学してみるのも、たまには頭の体操でいいな、ということ。
まさに、思いつ記のひとりごと。

それから…作家先生方、頑張って書いてください。
私ら、手ぐすね引いて待ってます。
100%足す100%でぶつかり合うと300%にも400%にもなる…というような作品を作りたいなと、
私はいつも思っています。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
久しぶりに頭の体操させてもらいました(苦笑)
ありがとう!
最近、鷹の受験の事と、通ってる中学のリアルスクールウォーズのことで
頭を使ってしまっていて・・・煮詰まってたので・・・
ところで、風邪をひいてしまいました(泣)
咳と微熱で、ちょっとつらいです。
凛ちゃんも気をつけてね!

みぃ
2007/12/23 20:25

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